クリスマスは、救い主キリストの誕生を祝い、礼拝する日です。
12月25日は、聖書の説き明しを中心としたクリスマス礼拝を行います。クリスマスの美しい讃美歌とともに、教会で心静かにクリスマスの大きな喜びを味わいませんか?

教会が初めての方はもちろんのこと、小さなお子様連れの方もどうぞお気軽にお出でください。どなたでもご来会を心から歓迎いたします。

クリスマス礼拝

日 時 12月25日(火)午後7時-8時
聖書箇所 イザヤ書53章1節-12節、フィリピの信徒への手紙2章6節-11節
説教題 わたしたちの罪のために
  • クリスマス礼拝は以下のプログラムに沿って行います。

  • 礼拝は、2階礼拝室で行います。土足で2階にお上がりください。受付でプログラムを渡しますので、聖書・讃美歌をお持ちいただく必要はございません。

>八事教会玄関から礼拝室までのアプローチ

クリスマスはどんな日、キリストはどんな方

聖書に、東の方から「占星術の学者たち」がエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになられた方」を礼拝しに来た物語が記されています。彼らは、祭司をしている人たちでした。ユダヤ人は、占いを禁じられていたので占星術などを行ないません。だから、それは、異教の祭司が人間の運命などを占う宗教行為でした。そして、国や世界の将来を予見する科学の役割も担っていました。その意味で、彼らは、未来を研究する学者でもあったのです。イエスを最初に礼拝したこの人たちは、オリエントを代表する知的エリートたちです。その彼らが、「ユダヤ人の王としてお生まれ になった方」のことを見出したという事実を、この聖書の言葉は伝えているのです。世界を造られた神は、異教の神に仕える祭司たちさえ支配される方で、彼らの魔術さえ用い、御子の誕生を知らせ、彼らをも真実の礼拝者、御子の救いに与るものとされようとされたということです。

星を観察して、ユダヤ人の王誕生を知った占星術の 学者たちは、ユダヤ人はきっと王の誕生を、心待ちにしているであろうと考えて、ユダの人々に、その方がどこで生れたのか聞いて確かめようとしました。彼らは、何百キロも離れたところから、灼熱の砂漠を超えて旅する危険を顧みずに、そして、祭司という職を投げ捨て、真の神を知り、真の神に仕えようとする信仰の新たな出発を始めようとしていました。それは、今までの生き方を捨て、真の神に自分を委ねて、神に生かされる喜びに生きようとする旅立ちでありました。

クリスマスは、キリストのマス、つまりキリストのミサを意味する言葉です。ミサは礼拝ですから、クリスマスは、キリストを礼拝することです。彼らは異教の神に仕える祭司でありましたから、キリストを王として仕える者になるという決意をせずに、この旅はできないという事はよく知っていましたから、その決意をして、救い主の誕生を喜び祝おうとしていたのです。

しかし、ユダヤを支配していたヘロデ王とエルサレムの人々は、この新しい王の誕生に、「不安」を抱いたと記されています。ヘロデ王は、王の地位を保つためなら、自分の子や親戚さえ殺すことを平気でやってのける人物です。彼が一番恐れるのは、自分に代わる王が現われることです。だから、王になりそうな人物を見つけ出しては抹殺しました。ヘロデは、イエスの誕生のことを聞いて、そのように行動しました。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」は、ご自分の民からは敬われず、むしろ退けられ、迫害されましたが、 東方からきた占星術の学者たちは、神の導きに従って、キリストを拝みにやってきて来たのです。異邦人の彼らから、キリストが王として礼拝されたということは、キリストが世界の王なる救い主となられたことを、この物語は告げているのです。救い主誕生の場所は王にふさわしい立派な宮殿ではありません。人と家畜がいっしょに寝泊りする貧しい粗末な宿屋でした。ふわふわとした柔らかいベッドではなく、家畜に餌をやる飼葉桶がベッドに用いられました。その貧しさ、弱さは、イエスが、人を人とも思わないで威張りちらす王ではなく、人の弱さや苦しみを知り、その苦しみに深い同情と憐れみの心を持つ救い主となられたことを表しています。

学者たちは、贈り物として、黄金、乳香、没薬を献げました。黄金と乳香は王にふさわしい贈り物ですが、没薬は死んだ人を葬る時に用いるものです。それは、イエスの生涯を表す贈り物でありました。イエスは王なる方ですが、私たちの罪を背負い、十字架にかかって死なれるために生れられた救い主です。占星術の学者たちは、その葬りの時の為の「没薬」を贈り、この王がどなたかを私たちに示す役割を果たしたのです。神は、このように独り子をさえおしまずに与えてくださるほどに、世を愛しておられるお方です。

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