今まで、教会学校・青年会ブログとして続けていたものを、本日、“教会活動ブログ”にリニューアルしました。

 

教会には様々な集会があり、ホームページで案内している集会は、どなたに対しても開かれており自由にご参加頂けます。

どの集会においても、聖書の言葉が語られ、また、聖書理解を深めるための学びをしています。

しかし、具体的にどのような集会をしているのか、必ずしも案内が十分ではなかったので、教会学校や青年会に限定するのではなく、今後、当教会で行っている集会についてタイムリーに報告・案内を致したく思い、ブログをリニューアル致しました。

 

リニューアル後の初回は、明日行われる“聖書の学びと祈りの会”についてです。

本会は、毎週水曜、八事教会において、午前(10時30分-正午)と午後(7時30分-8時30分)の2回行っており、旧約聖書のイザヤ書の学びを続けています。

イザヤ書は、預言者イザヤの預言について書き記された書物ですが、預言書を一人で読む難しさに、イスラエルの王国分裂後の歴史の複雑さがあると個人的には思っています。

当会では、毎回その日のメッセージのプリントが出席する人に配布されます。

また、地図や年表などの資料も必要に応じて添付されますので、学びを重ねて行くと、歴史・地理・風土など理解しづらい問題も、少しずつ整理しながら聞くことができます。

メッセージは、毎回プリントの内容を補いながらなされます。

特に預言者の時代に書かれたメッセージを、今生きる私たちがどのように聞けば良いのかという点に重きが置かれます。

また、旧約時代の預言が、イエス・キリストにおいてどのように成就されたのかも語られます。

 

実は、八事教会でイザヤ書の学びをするのは2回目ですが、1回目の学びより2回目の方が、より深く、リアリティを持って聞くことができています。

イザヤの時代の問題は決して古い問題ではなく、今を生きる私たちに、毎回鋭い問いがなされ、この時代において教会がどのように歩むべきか、また、キリスト者がどのように歩むべきかを深く学ぶことができます。

そして預言書を学ぶことによって、神様のみを信頼して歩む生き方へと確かに転換させられます。

 

朝の集会も夜の集会も同じ学びをしています。

週の半分の歩みを終える水曜。

とても私には神様の導きがあるとは思えないし、暗闇の中を歩むような、先が見えない苦しみを抱えて歩んでおられる方もおられるかもしれません。

どんなに希望のない歩みに思えても、神様は聖書を通して語りかけて下さり、信仰を与え、救いへと導いてくださいます。

 

イザヤ書40章8節には「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」という言葉があります。

パレスチナの厳しい気候風土では、日本のようにはらはらと草花がしおれるのではなく、熱風で一瞬にして枯れ果てるそうです。

どんなに栄華を極めても、私たちの人生は、ときに内的・外的な要因によって、再起できないほどの痛手を負うこともあります。

しかし、神を信じる人は、そのような状況にあっても、神ご自身が生きる道を与えてくださいます。

この世においては失うもしくは奪われることばかりの人生であっても、主なる神様を信じ、従う人は、永遠の命に至る救いが与えられます。

 

この記事を書いている私は、八事教会の聖書の学びと祈りの会に出席するようになり、約8年になります。

最初は個人的な慰めを求めてこの学びに出席していましたが、自身の思いをはるかに超えた形で導きが与えられました。

そして、旧約聖書のすばらしさを多くの方に伝え、共にこの学びに与りたいと願うようになりました。

学びの後になされる祈りの時も、はじめはどようように共に祈れば良いのかも分からない状態でしたが、祈りの言葉も年々整えられていきました。

そして、祈りとともに、主の導きを信じて、具体的に主に仕える道も、神様ご自身が備えてくださいました。

 

旧約聖書の学びは理解をするのに時間がかかりますが、必ず益となります。

そして、旧約聖書を深く学ぶと、イエス・キリストにおいて神様が実現してくださった救いがどれほど素晴らしいものかの理解も大きく深まりますし、信仰の基礎がしっかりと築かれます。

 

どうぞ、聖書の学びと祈りの会にお越し下さい。

共に学び、祈るときが与えられることを切に祈り願っています。

 

 

 (聖書の学びと祈りの会を楽しみにしているとある一信徒)