2016年8月の聖書の言葉
わたしを求めよ、そして生きよ。
(アモス書5章4節)
槍ヶ岳(2010年8月北穂高岳頂上から撮影)
今日、グローバル化した世界の中で、大国と呼ばれる国々は同盟関係を結び、さらなる経済の発展を目指す経済の仕組み築き上げようと歩んでいます。その巨大な歯車の中で、貧困や格差の中で苦しんでいる人々叫びは、富める者人々のところに届いていません。届いていても無視されています。その支配体制は、人々の争いを激化させ、やがて崩壊の危機を招来することになるでしょう。紀元前8世紀中頃、ヤロブアム2世が統治する北王国イスラエルは、この時代と似た現実にありました。外交上の平和と繁栄を謳歌し、貿易の拡大によって財産を築きあげた資産階級が形成される一方で、人々の生活基盤は崩壊の危機に直面していました。
その時代、エルサレムの南にある小さな町テコア出身で羊飼いをしていたアモスは主なる神によって預言者として召され、その危機にほんろうされている無力な人々に向かって、「わたしを求めよ、そして生きよ」、という主の言葉を告げました。アモスは、偽りの繁栄の時代を生きるイスラエルに向かって、9割の滅亡の中にも、1割の「生き残る」者があると告げた後に、「わたしを求めよ、そして生きよ」という主の言葉を告げたのです。「そして生きよ」は、「わたしを求めて」という言葉に続いて語られています。単に、「生き残る」者の一人となるのではなく、「わたしを求めよ」という根本的な生き方先ずあって、「そして生きよ」という言葉が続くのです。時代の中で翻弄されている者の生の確かさは、「主を求める」ことの中にあります。