2016年9月の聖書の言葉
わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。
(Ⅱコリント4:18)
後立山連峰の山々、遠く白馬岳から野口五郎岳(右)まで眺望[撮影場所 鷲羽岳山頂付近]
この御言葉は、キリスト教信仰の確信に立った信仰の在り方を示しています。「外なる人」としてのわたしたちの肉体は日々衰えていくものです。そこで、わたしたちの心は挫けそうになります。しかし、キリストの復活は、キリストに結ばれた私たちにも、永遠に存続する命として約束されているのです。わたしたちは、そのことを信じるゆえ、「外なる人」としての肉体が日々衰えていく中で、「内なる人」としての心は、日々新たにされて、やがて訪れる「死」を、「一時の艱難」として見ることができ、その後与えられる復活の「永遠の栄光」の状態を待ち望む信仰によって生きるのです。神の業としてのその救いは、わたしたちの目には隠されていますが、神の秘められた救いに目を注ぎ、信仰に生きる者は、死という現実を前にしても、神を喜び、この救いを実現してくださる神を希望に生きることができます。人間の目に見えるものは、過ぎ去りますが、わたしたちが地上に生きている間、「見えないもの」として隠されていますが、わたしたちに約束されている復活の命は、朽ち果てることのない肉体の復活という「永遠に存続する」新しい命です。その見えない神の救いに目を注いで生きる者(死ぬ者)に、神は、天にある永遠の住みかを備えてくださるのです。