愛知県名古屋市昭和区のプロテスタントのキリスト教会

2019年6月の聖書の言葉

2019年6月の聖書の言葉

主は貧しい人の苦しみを、決して侮らず、さげすまれません。 御顔を隠すことなく、助けを求める叫びを聞いてくださいます。

(詩編22篇25節)

剱岳八ツ峰・三ノ窓・小窓(2012年8月15日仙人峠付近より撮影)

詩篇第22篇は、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」という嘆きの言葉で始められています。十字架上のイエスは、この言葉をご自身の祈りの言葉とされました。 この祈りは嘆きの言葉で始められていますが、後半では賛美と感謝へと転換しています。苦難の中にある祈り手にとって、神の問題が究極的な関心事でありました。祈りの中で救いの確信を与えられた彼は、神の栄誉を語り伝え、万人がそれを認めることを願うようになりました。神は悩める者の悩みの奥底まで下っていくことを厭われなかった。これが、この詩人の体験したことです。だから、彼は、「主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく、助け求める叫びを聞いてくださいます」、と告白することができました。 彼の願いは、「地の果てまで」福音が宣べ伝えられ、「すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々の民が御前にひれ伏す」ことです。貧しい人々、苦難を歩む人々を蔑まれず、御顔を隠さず、人を分け隔てせず、地に住むすべての人に、命を溢れさせる神の恵みの支配を信じているので、詩人は「わたしの魂は必ず命を得る」と確信することができました。彼が願うのは、子孫が神に仕える者となり、「主のことを来るべき代に語り伝え、成し遂げてくださった主の恵みの御業を、告げ知らせる者となることです。キリストの十字架の祈りの言葉は、詩篇22篇の祈りにあらわされている、貧しき者、辱めを受ける者とされたご自身の神に見捨てられるという神の御子としての苦しみを表すものでありますが、この詩篇は神への信頼に生きる受難者の信仰を表明する祈りです。25節の祈りの言葉は、そのような苦しみの中にある人々を、主イエスご自身の救いに与るものとさせるための執り成しの祈りであったことを示しています。

今月の聖書の言葉

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