愛知県名古屋市昭和区のプロテスタントのキリスト教会

2022年4月の聖書の言葉

2022年4月の聖書の言葉

死は窓に這い上がり
城郭の中に入り込む。
通りでは幼子を、広場では若者を滅ぼす。
(エレミヤ書9章20節)

剱岳カニのタテバイ(2019.8.13前剱頂上から撮影)

エレミヤ書9章20節に歌われる屍の歌は、すべてを圧倒する死の力について語る印象的な歌です。わずか数行で、不気味な美と逃れ得ない重圧を描いています。死は町の中では略奪殺戮の徒として敵が襲い内と外に猛り狂います。死は突然に家の中に押し入ってきて、鍵が掛かっているはずの戸も窓もこじ開け、堅固な城さえもこれを防ぐことが出来ません。死は、盗人のようにこっそり窓から訪れ、何も知らず通りや広場で遊び戯れている子供や若者の命をあっという間に取り去っていきます。戦場には数々の死体が辱められて横たわっています。それは収穫の刈り取りの比喩を以て語られるだけに、その残虐さが一層強く印象づけられます。この残虐な死の刈り取られたものを集め、それを納屋に収める者は誰一人いないのです。それほど仮借ない死の現実がそこにありました。しかし、死者のための嘆きは、今生きている人に向けてなされています。その独特な語りかけを通して、預言者は神の言葉を告知しています。その死に神の現実を認め、神の前にひれ伏し、いかに厳しい現実でも、なお、死を定めた神を信じる一人の人間として、エレミヤはその現実を見つめています。死の背後には、ひとりの裁判官がいて死刑判決を執行するのです。エレミヤは、人々に同情しつつ、また恐れながら、この審判を告げ、生きている人々に死者のための嘆きの歌を歌っているのです。彼もまた民の一員として、人々と共に涙を流しているのです(17節)。神はご自分の民の背きを嘆いています。残りの者たちは神に向かって嘆いています。かつて自分たちが離反した神に、再び民は立ち帰るのです。だから、この嘆きが先取りしているのは、神への立ち帰りを求める、救いの呼びかけです。

今月の聖書の言葉

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