愛知県名古屋市昭和区のプロテスタントのキリスト教会

2024年1月の聖書の言葉

2024年1月の聖書の言葉

枯れた谷に鹿が水を求めるように神よ、
わたしの魂はあなたを求める。
(詩編42篇2節)

鷲羽池から槍ヶ岳穂高連峰を眺む(2016.8.10.撮影)

聖書は、人間が神にかたどり、神に似せて造られた存在であることを告げています。人間は神との交わりの中で生きる時、一番幸せであると感じ、神の懐で憩う時、平安と喜びに満たされる存在として造られたことを告げています。しかし、人間は、この世界が神によって創造されたものでしかないことを忘れて、自分の利益のために用いようとして、かえってこの世界に翻弄されて生きています。世には、成功をおさめ、多くの富を築いている人もいます。冨者が、貧しい人を自分の都合のよいように働かせて、しいたげ苦しめる様なことも、しばしば起こっています。人は皆神から命を与えられ、神のかたちに似せて造られた存在として平等ですが、貧しい家庭に生まれた人もいれば、健康に恵まれない人もいます。わたしたちの人生は、現実には一人一人異なる状態の中で歩んでいます。時代も自分で選ぶことができません。生きることは容易ではなく、苦しくて渇きを覚える日々を過ごしている人が実に多くいます。

聖書の世界、パレスチナ地方は、雨が少ないところです。乾期になると雨が一滴も降りません。その季節には、鹿は枯れた谷に僅かに残っている水を探し求めてさまよい歩きます。この世には、神を忘れ、世の与える平安や幸いを求めて、それを得ることができず、鹿のように渇きを覚えている人が多くいます。

しかし、この世には、渇きを完全に癒してくれるものはないのです。人間は、神のかたちを持つものとして、神との交わり、神に聞くことを最上の喜びとすることのできる存在として創造されているのです。だから、神を求めなければ、人間の魂(ヘブライ語ではネフェシュ、「喉」の意)の渇きはいやされることがないことを覚えて生きることが大切です。

今月の聖書の言葉

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