愛知県名古屋市昭和区のプロテスタントのキリスト教会

2023年11月の聖書の言葉

2023年11月の聖書の言葉

多くの人が義とされるために
(イザヤ書53章11節)

三俣山荘から鷲羽岳に向う中腹から残照の槍ヶ岳を眺む(2016.8.10撮影)

この僕の歌は、罪なき者の受難死について、「彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らうものと共にされた」と、僕には何の罪も認められないのに、罪ある者の罪を背負って、その償いのために身代わりとなって苦しみを受ける受難死であったと歌っています。「わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」(8節)、彼の時代に彼の死の意味を理解できる人が一人もいなかった。僕がこのような苦難を受けることが主なる神の意志であったと告げています。僕は、自らの受難の生涯が神の意志として、罪ある者の「償い」「執り成し」のために神の定めの下に置かれたメシアとして、これを受け止め、その使命を全うすると告げています。主の望まれることは、僕の受けた苦難によって、僕は他人の罪を引き受け、同時に他人を懲罰から救う力を主なる神から受けることであります。それは、彼自身が他の者に先立って受けた「実り」であり、「彼の手によって成し遂げられる」他の者に与えるための「実り」であります。その実りとは、「多くの人が正しい者とされる」ことであり、「子孫が末永く続く」ということであります。新約聖書は、この預言の成就を、イエスの十字架の死と復活の出来語の中に見ています。神は、イエスの義によって「多くの人を正しい者とする」愛と恵みに満ちた方であり、神の意志を実現するため、イエスは十字架の苦難の道を歩み、死の辱めを耐え忍び、その救いを行われました。それゆえ、イエスのなされる「背いた者の執り成し」とは、「自らを償いの献げ物」として捧げる罪の身代わりの懲罰を受けることでありました。「彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられる」ということは、そういう辱め苦難を受けることでありました。僕には何の罪もないのに、彼はこの執り成しをするために「僕」となって、わたしたちの間に住み、このような苦難を引き受けられたのです。主イエスは、受難の僕として、わたしたちのために、その受難の道を耐え忍ばれたのです。

ヨハネ福音書19章30節に、「成し遂げられた」といっていきを引き取られた十字架の主イエスの最期の言葉を記録しています。イエスは罪の贖いのための執り成しが完了したことを確信し、自らの苦しみの実りを見、満足して息を引き取られました。神は、受難の僕イエスを、死者の中から復活させることによって、イザヤの告げた僕の業の成就を明らかにされました。そして、救い主イエス・キリストを信じる者を、神はキリストにあって「正しい者」としてくださるという喜びの知らせは、今わたしたちに与えられています。わたしたちのような罪深い者を救うために、神は主イエスを僕として与えてくださったのです。わたしたちは、この方の手によって成し遂げられた受難、十字架によって罪を取り去られ、「正しい者とされ」、復活の命に与る幸いな者にされているのです。その全てを、ただ神の恵みによって与えられていることを信じる者に、受け取ることがゆるされているのです。

この人を仰ぎ見、信じて歩む者すべての者に、この救いの恵みは約束されているのです。

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