2018年11月の聖書の言葉
わたしは神であり、人間ではない。
お前たちの内にあって聖なる者。
怒りをもって臨みはしない。
(ホセア書11章9節)
弓折岳分岐手前から見た双六池と鷲羽岳(2016.8.11撮影)
わたしたち人間は、人から受けた恩恵を忘れやすいものです。平気で人から受けた愛を忘れなくても、自分の置かれている状況が変われば、その愛を裏切ることがあります。ホセアという預言者は、「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」(ホセア1:2)という主の命令に従い、姦淫の女として有名なゴメルという女性を妻として迎え入れますが、その結婚生活はゴメルの淫行に苦しみを味わう日々でありました。ホセアの体験は、ご自分の民として選んだイスラエルがご自分のもとから離れ、バアルの神を礼拝する罪を繰り返していたことへの主の苦しみの深さを、ホセアの結婚生活の苦悩を通して覚えさせるための主の業でありました。ホセアはそれでも姦淫の妻ゴメルを愛せよという主の命令を受けていました。今月の聖書の言葉は、このようなホセアの苦悩を背景に語られた神の言葉です。神はなぜホセアにその婚姻生活の苦悩を与えたのか、ホセア書11章9節の言葉にその理由が明らかにされています。神はわたしたちを人間のようには愛さないのです。怒りではなく赦しにおいて愛してくださるのです。キリストがわたしたちと同じ肉体を取り、十字架の苦しみを受けられたのは、赦しにおいて私たちを愛し、罪から贖いだすためです。神は、そのような愛をもって、わたしたちを罪から救い出そうとして、いまも臨んでくださっているのです。